死なないつもり
この時代にこのタイトル。ジャケ買いでしょ。
住んでる地域も高齢者が多くって通りすがりの挨拶が
「よぉ!まだ生きてたか!」だったりするし
今勤めてる会社に
70代前半のおじさんが遊びにくるんだけど
天を仰いで「神様~もう連れてってもいいですよ~」っておどけて言うし(おもしろいけど)
そんな時代に、横尾先生は80歳になっても
「死なないつもり」って、きてるなぁ。
横尾忠則さんの本は、私は今まで1冊しか持ってなくてそれを読んだのが15年くらい前。
友達の家で見つけて、おもしろすぎて自分で購入して、5年おきくらいに読み返してる。
その本はまだ30代の横尾さんが60代くらいの大御所を相手にした対談集で岡本太郎さん、手塚治さん 他にはヨガの先生やら 食の研究者やらそうそうたる顔ぶれ。
まだ若造あつかいされている横尾さんのインタビューがまた素晴らしくていつ読んでも新鮮。
最近はお気に入りの章をもう10回くらい読んでるんだけど、まだ理解できていない。(普通7回くらい読むと理解できるらしいんだけど、、、)
それなのに80歳になった横尾さんのエッセイはシンプルでめちゃくちゃ読みやすい!
若い頃こねくりまわしたものをすとーん、すとーんと手放していい感じの80歳になったのですねぇ。
80歳になって行き着いた境地が「無頓着」。
本当は郵便局員になりたかったのに、人の言うがままに流され続けてグラフィックデザイナーになり、45歳で画家に転身。
無心になんてなれないんだから「無頓着」で行こうとかこだわりなんて言葉は苦手。せいぜい興味あるくらいにしようとか
執着心を捨てる事の大切さを伝えてる。
この本の前、76歳で書いた本が「言葉を離れる」
ちょっと好きだっ文を抜粋
若い頃は私がいて他人がいました。
他人を意識する私がいました。老齢になると私と他人がひとつになるような気がします。
私が背負っている自我を私から下ろして身軽になりたいのです。
言葉さえも私から降りたがっているような気もします。
ぼくの中から言葉が毎日のようにひとつふたつとすべり落ちていくのです。
人間が死ぬということは肉体の中から全ての言葉がなくなる状態をいうのではないでしょうか。
生きている間にうんと使いはたして、言葉の器をからっぽにして旅立つことができれば最高ですね。
なぜなら言葉の中には人間の煩悩がビッシリ詰まっているからです。
老齢によって言葉がポロポロと失われていく様子をとっても肯定的に捉えててその数年後にだしたエッセイでさらに言葉がシンプルになっていてる。
流れにまかせる生き方っていいですね。
もしかしてだけど、なかなか手放せないでいるものを老化や病気が手放させているんじゃないかって思えてきた。
ちょっと前にお友達と理想の死に方の話しになってそれまでの自分の理想の死に方が、
蕎麦屋で昼まで働いて「ちょっと疲れたから昼寝するわ」っていって昼寝したまま老衰で死んでった(会った事はない)私のひい婆さんだったのですが
「死なないつもり」ってのもちょっといいなぁ。