痴漢の影響力

先日飲み会で、痴漢は気配でわかるよね!という話になった。

 

今でこそ痴漢とは無縁ですが、学生時代は駅から家までの近道に
当時、変質者が多くって、警察に駆け込むほどの深刻なものはないから、(いやあるか?むむ)自分としても鉄板のネタがいくつかある。

 

その一つを話して、面白いネタとして笑ってもらった後日、ふっと「あら?私ほんとうに傷ついてなかったんだろうか?」と我に返って思い返したら

 

その少し危険な道を通る時に何か嫌な感じがする日には、防御策として、コンビニでいちご牛乳の紙パックを購入してストローでそれを飲み、ヘッドホンして頭を振りながら歩いてたのを思い出した。

 

パンクのお友達から貰った鋲がついた指輪をお守りのようにポッケから出して握り締めながら帰ったりとか。体力がある時は全速力で駆け抜けたり。

 

痴漢も頭振りながらノリノリで歩いてる女子高生はいくらなんでもターゲットにしないでしょう。

 

その頃、むりやり胸をすぼませて緊張して強張らせた体とか、女性と思われないようにしていた仕草とか。その状態をずっと引きずりながら今もいるのかと気付いた。

 

実際に被害にあった事実よりも、その後の警戒心のほうが自分の生き方にとってずっと厄介なものだったんですね。

 

女性として見られていない時の安堵感とか。

 

信頼関係のある場があれば、胸をすぼめてる人なんていないだろうし

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(アフリカの現地写真を伝えるフォトグラファーヨシダナギさんの画像より)

 

公共の場でも平気で母乳あげていたような時代の日本にも女性が胸を張って生きれる寛大さみたいなものがあったんだろうか?

 

そう考えると被害にあうあわないでなしに痴漢って存在自体が社会的な罪ですね~。

 

「誰にでも触らせてあげるの」って(ちょっとニュアンスは違うけど細かくいうと長くなるので)、胸の大きな30代半ばのかわいい女性に数年前にあった事があるのですが彼女の寛大さって、イメージの中の昭和の女性だったんですよね。肝っ玉的な。


その方はハワイ在中で、その時日本に一時帰国されていて、ハワイの空気感もあるのかな?その人のもつ特有のものなのかな?

 

合気道を習ってからは前から比べるとだいぶ胸も開けるようになって来たけれど胸を開いた時に、たまに感じる胸から二の腕あたりのサワサワした感覚ははソコか!と今更だけど気付けて良かった。

 

「誰に触られたって構いやしないよ」って気持ちでいる事が、身体の健康や社会の空気感にとっては必要なんじゃないかって思うけど、想像するとやっぱりヒリヒリする二の腕あたりを今、緩めてるところです。